1社目:配属後 (1996年6月~1999年6月)
僕の配属は、某北関東の工場の経理部でした。ちなみに、僕は大学では社会心理学専攻で、経理なんかやったこともないし、興味もありませんでした。
配属希望面接というものはありましたけど、そもそもほとんど事前に決まっていたように思います。ここでも、会社というものに働く力学を感じさせられました。
新卒の場合、会社の配属というのは、各事業部単位から必要な人員を募り、会社の人件費予算と照らし合わせて重要性の観点から優先順位を決めています。すなわち、ここの事業部からは2名増員要請が来ているけど、予算がないし、ほかの部門のほうが緊急性が高いから1名にしておこう、とか。従って、何をやりたい、これをやりたい、とか思っても採用の時点では、次年度の人員配属計画なんてほとんどできていないので、いざ入社してふたを開けたらマッチするポジションがなかった、なんてことはありえます。ただ、大企業であれば、いずれ異動というものがあるのでキャリアの軌道修正は長い目で見れば可能ですが、時間がかかりますよね。最近はこういう不幸なアンマッチを回避するために、職種別応募制をとるところも多いようです。
工場の経理で最初にやったことは、製品の原価計算でした。とはいっても全部システムが計算してくれるので、データの異常値をつぶすこととシステムのメンテナンスが主な仕事でした。当時は全部バッチ処理(データを溜めて、決めた時間にデータを処理する)だったので、リアルタイムでデータ処理結果を見ることができませんでしたから、製品などの元帳を固めるのに日数はかかりましたけど、仕事そのものはのんびりしていました。
だいたいのデータは自動で処理されて、月初に前月のデータをもとにした元帳がでてくるのですが、現場での入力ミスとか、処理ミスでおかしなデータになっていたりするので、それを逐一調べて正しい形に直していました。その修正方法も、パンチデータを手書きで書いて、処理センターに社内便で送り、そのデータをもとにパンチャーさんがデータを打ち、処理センターの巨大なコンピュータでバッチ(一括)処理、翌朝にそのデータを反映した元帳が出てくる・・・という感じでした。
経理って仕事は、ほかのセクションには嫌がられるんですよね。あれこれ細かいこと(こういうルールで処理しろとか)や、経費の内容を質問されたりとか。工場では、本社から派遣されてくる人は、マネジメントサイドの一握りの人か若手の幹部候補生で、大多数はその地域で採用された地元の人です。従って、僕のような「よそ者」の経理部員はもっとも嫌がられるパターンで、生産管理部門のあるおじさんに結構いじめられました。負けずに言い返してましたけど(笑)。
工場では、ほかに工場内子会社の資金ぐりとかも担当しましたけど、この時代は自分のやっている仕事が全社的にどんな意味を持つのか、ぜんぜん理解できておらず、「つまんねーな」とか思いながら、日々単調な仕事をこなしていました。月初の閉めが終わると暇になってしまって、月の残業はほとんどない、という時代でしたので、給料はめちゃ安でしたね。だいたい手取りで16万とか、そんなもんです。ボーナスは手取りで50万なかったですね。自分の仕事の意味がわかるのは、本社で全社の状況が理解できるようになってからです。
世の中不況で、ボーナスがない、なんて会社もありますからこれでも良いほうなのかもしれませんが・・・。
異動の辞令は突然でした。
上司に呼ばれて、「2週間後、本社ね。連結決算チーム。」この連結決算チームというのは全社でも非常に悪名高い部署でした。残業時間がハンパじゃなかったのです。決算の時期は毎日深夜2時まで。その月の残業時間は200時間を超えるという恐ろしい部署でした。なぜ僕に白羽の矢がたったかといえば、異動対象だった先輩が退社してしまったため、僕にお鉢がまわってきた、ということだったわけです。
率直にいって、異動先部署はぜんぜん魅力的ではなかったですが、この時点で入社して3年経過しおり、今後のキャリアを考えて全社的な視点を身につけておくこともよかろうと思い、異動を承諾しました。でも、この時点で1年たったら転職を考えようとも思っていました。
そうこうしているうちに異動の辞令が出ました。